Albert Charles du Bousquet

Une promenade de l'histoire

子孫から見たアルベール シャルル デュブスケ



自己紹介

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はじめまして。 私は、幕末にフランス軍事顧問団で 派遣されたAlbert Charles du Bousquetの曾孫で林 邦宏と申します。 du Bousquetの日本での活動をまとめ上げようとライフワークで取り組んでいます。

2012年10月27日土曜日

富岡製糸場  Filature de Tomioka


キンモクセイの香る季節、世界遺産登録に向けて活動している富岡製糸場を訪ねた。




幕末、横浜港開港時はイギリス、アメリカ、オランダが早くも商館を建て、
そこに商人が生糸などを売りつけたが大分粗悪品もあったようだ。
後れを取ったフランスも積極的に幕府に働きかけた。
幕府は最良の蚕種紙15000枚をナポレオン3世に贈呈した。
幕末の頃、ナポレオン3世が将軍徳川慶喜にアラビア馬26頭を贈ったことは知っていたが、
それは蚕種紙の返礼だとは知らなかった。



明治になり、政府も富国するためには貿易で外貨を獲得することが重要で
生糸と蚕種の輸出に特別の力を入れるべく官営の製糸所を作るため
渋沢栄一は懇意にしてた太政官、正院やフランス公使館で働いていたデュブスケに
技術者紹介を依頼した。


デュブスケはフランス人製糸技師ブリュナ(François Paul Brunat)を紹介し
主任技術者として明治3年に正式に契約をした。
立地、設計、施工までブリュナが指導した。
また一時帰国時ブリュナはフランスから技術者や女指導教師を呼び寄せ
またフランス製の製糸器械も日本の女性の体格に合わせて持ち込んだようだ。

フランス製の機械を使用した日本で最初の工場が富岡製糸場だ。













明治8年ブリュナの雇用契約は満了し
翌年帰国したが、日本の近代化に貢献したことは間違いない。




  


正門近くにカトリック教会があった。
シスターに当時からあったのか訪ねたら当時は工場内にプロテスタントの教会は
あったようで、ここの教会とは関係なかった。




現在は東京から車で関越道、上信越自動車道で富岡まで簡単に行けるけど、
当時は馬や馬車で大変な道中だったと思う。
デュブスケも一度は、通訳として富岡を訪ねたのかな。

 
富岡風景  鈴木建夫氏スケッチ



現在、国際交流員としてのダミアン・ロブション氏Damien Robuchonは
冨岡製糸場戦略課でコーディネーターとしてお仕事されて、
訪問時にお世話になりました。







                                                          









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