Albert Charles du Bousquet

Une promenade de l'histoire

子孫から見たアルベール シャルル デュブスケ



自己紹介

自分の写真
はじめまして。 私は、幕末にフランス軍事顧問団で 派遣されたAlbert Charles du Bousquetの曾孫です。 日本での活動をまとめ上げようとライフワークで取り組んでいます。

2011年5月14日土曜日

梅渓 昇先生


私のデュブスケに関する知識は、大阪大学名誉教授 文学博士梅渓先生の出版物から多くのことを得ました。
私の蔵書の内、先生の出版物は
「明治前期政治史の研究」未来社 1963年2月28日発行
「お雇い外国人 明治日本の脇役たち」日経新書 昭和40年
「お雇い外国人 政治・法制」鹿島出版会 昭和46年
「お雇い外交人の研究 上、下巻」青史出版 2010年

昨年秋、現在は小金井市にお住まいの梅渓先生のお宅を訪問しました。
今年は90歳になられるとか、矍鑠としてお元気でした。
今回、訪問した時先生から貴重な資料も頂けた。
私の知らなかった情報も多々あり、つくづくもっと早くから先生を知り学びたかったと思う。
デュブスケに関して先生ほど研究されてる人は知らず
曾孫として、これほど感激したことはない。
先生の研究された書を基に子孫である自分がそれを受け継ぎ
デュブスケ史をまとめなければと痛感しました。

2011年5月11日水曜日

歴史散歩 YOKOHAMA

横浜は私の出生地、戦時中の記憶は無いが横浜の大空襲で当時2歳の私は母の背中に背負われ足首だけ出ていたところを焼夷弾で火傷し、その傷だけが残っている。
5、6歳の頃から伊勢佐木町松喜屋赤トウダイの傍に父の店があり、何度も父に連れられて遊びに来ていた。
その頃、進駐軍が横浜の町に溢れ伊勢佐木町辺りは焼け野原や瓦礫が残り、米軍のかまぼこハウスや小さな飛行場が町の真ん中にあった記憶がある。
大桟橋からは客船がドラの鐘合図に出港していたし、山下公園辺りまで米軍の住宅や施設が港を囲っていた。街の中には何本も川がありポンポン船が行き交っていた。
当時は街も路地裏にも、それなりに風情があった。半世紀以上経った今の高層ビルが立ち並ぶ横浜とは隔世の感がある。
1867年慶応3年1月13日 Albert Charles du Bousquet 日本での歴史が始まる。
当時の横浜はすでに馬車道、伊勢佐木町辺りの中海は埋め立てられ賑わいもあった。
生麦事件以来、今の山下町や山手は英仏の外国人居留区になっていた。

到着早々、翌日から軍事顧問団は大田村にあった大田陣屋で幕府軍の軍事指導が始まった。
幕府軍といっても武士や流れ者、農民などの寄せ集め集団だったから身分社会では大変だったと思う。
大田陣屋跡を訪ねようと最初に向かったが判らず、野毛の古本屋さんの年配の御主人に伺ったところ近くの大岡川から伊勢佐木町方面が大田陣屋跡と教えてくれた。
それらしき面影は無く、後で調べたらそこではなく野毛山公園下の日ノ出町駅の側が大田陣屋跡と判った。いつかまた訪ねてみたいと思う。
それから青木町にある甚行寺が初期のフランス公使館ということで訪ねた。
そこにはフランス公使館跡の石碑だけが建っていた。

甚行寺からかなり歩き、当時外国人で賑わっていた弁天通りに出た。今はビジネス街の一方通行の裏通り。当時は商店などが並び賑やかな通りだったそうだ。

ここで1869年明治2年3月19日デュブスケは攘夷派の残存暴漢に襲われてしまう。
幸い軽傷で事なきを得た。
弁天通りから大桟橋に出た。子供の頃の大桟橋とも大分変っている。
横浜開港時には、フランスは東洋のマルセイユにしようとの考えもあったらしい。


そこから山下公園沿いに歩き出した。オリエンタルホテル前にフランス桟橋があったそうだが今は氷川丸が留められている付近の山下公園では確認することは出来なかった。
この辺一帯は、外国人居留区になっていた。

近くの中村川に架かるフランス橋を渡りフランス山に登ってみた。

過去に何度も港が見える丘公園には来たが、すぐ傍に山といっても丘だがここにフランス山があるということは最近まで知らなかった。
頂上には井戸水を汲み上げるためのモニュメントの風車と領事館跡が残っていた。

領事館が作られたのは、デュブスケの死後だが居留区のあったこの山には何度も登っていたに違いない。
しかしそれにしても、フランス山からも港の見える公園からも港風景は今は無粋なコンクリートのビルや高速道路に遮られている。パリの街並みのように歴史の面影を残すことは出来なかったのだろうか。残念だ。

横浜にはアイスクリームの発祥地、ボーリングの発祥地などやたら発祥地の碑がある。
それは開港地だから当然かもしれないし、当時の活気も想像できる。
今日はよく歩いた。ふるさと横浜は、いつ来ても私は飽きない。